自立と依存

どうも、しがないニートです。

 

昔の私は、自立しようと必死でした。

 

でも大学4年の時、

「自立するってなんだ?」

と壁にぶち当たったんですよね。

 

その時はうまく自分なりの答えを見つけることもできず、

まぁ来年から働くし経済的な自立か〜

なんて軽く思ってたんですよね。

 

でもそれって、親からの自立、もっと言えば

親の財布からの自立

って意味合いでしかないのかな、ともやもや。

 

もっと精神的な自立ってないのかなと思っていたところに、

「自立することは依存先を増やすこと」

って言葉に出会いまして、最初は

「?????」

しか頭になくて。

 

どういうことかな〜と半年くらいもやもやしてて、

東京の満員電車に揺られてた時に「ああ」となって。

 

東京の満員電車って、もう、やばいじゃないですか。

最初の内は周りに迷惑かけちゃうしと思って、

なるべく隣の人に体重かけないようにしようとか、

体重かけられても嫌な顔しないでおこうとか、

踏ん張ってたわけですよ。

 

でも、あれなんか違うぞと。

 

みんな体重かけることが前提なんですよ。

 

まさに社会の縮図だなあなんて思ってると、

ああ、自立って一人で踏ん張ることじゃないのかなと。

 

もちろん一人で踏ん張る自立もあると思う。

それは社会からある種独立して、

社会と対等な存在としてある場合なのかな。

 

満員電車が社会やとすると、

タクシーなのか自転車なのか徒歩なのか。

 

でも、ある社会で生きてくなら、

もたれ合って、体重かけあって、

そうやって何かに依りながら生きてくのが、

自立って考えで、ああ賢い選択なんだなあと。

 

たしかに、現実で考えてみても、

周りに頼れる人がいればいるほど安心というか、

自分たちの足で立ってるなあって気がするし。

 

 

 

そうか、

自立って言葉は、

社会の家畜を生み出すための言葉なのか、

自立はいいことって思ってたけどそういうことかと、

朝から家を追い出されたニート

満員電車から1年の時を経て思うわけです。

 

 

 

 

何なんだろうね、自立って。

プラトニック

どうも、しがないニートです。

 

思ったことを思ったように言えるのって

しぁせなことなんだなあと

しみじみしてます。

 

「あんたのよさは、

   人間くささがあるとこなのよ」

 

誰が臭いねん、とか思いながら

そうやって生きてこれてる自分に満足しつつ、

これってただのわがままじゃなあよなあって

思うに至り。

 

ただの、不良みたいなわがままとは

なにが違うんだろうって考えるけど、

自分では何か明確に答えが出せない。

 

その反面で、

「言葉にできないところに幸せを感じる」

なんて言った自分もいるわけで。

 

だってさ、

他と一緒とかつまんないでしょ。

 

頭ではわかってるよ。

私みたいな人間がいっぱいいるなんて。

 

でもさ、

どこかでちがうんだーって

思いたいじゃない。

 

私は私なんだって

言葉にはできなかったり

周りから理解されなかったり

そんな自分が愛おしいわけなんです。

辛い時は頑張るしかないんだな

どうも、しがないニートです。

 

25年マンションに住んできた私には

隣の芝の色は見たこともないんだけど、

やっぱり青く見えるんだろか。

 

健全な私は、

昔からワンピースを単行本で購読してて、

好きなシーンがやっぱり自分の中にあって。

 

エースが死んだ、その後の話なんだけど、

大事な兄貴が死んだルフィは自暴自棄になって、

もうなにをどうしたら良いかわからなくなる。

 

でも、それを支え、立ち直らせたのは、

今自分が持っているもの。

 

今まで自分が当たり前に享受していたもの。

 

もちろん、

仲間の存在っていう具体的な側面も

とってもとっても大事なんだと思う。

 

けど、私には、

「ああ、自分はこんなにも恵まれてたんだ」

とちゃんと認識できたことが大事だと思うわけで。

 

ここで、仲間の存在が大事なのは、

他との比較をしていないおかげ。

 

「隣の海賊団の仲間たちはいいなあ」

なんて思ってたら、きっと立ち直れない。

 

今の自分の環境に感謝感激しつつ、

それでも要所要所でちゃんと環境を入れ替える。

 

そうやって、自分たちの家の芝が1番青いんだと、

そうやって信じられたからこそ立ち直れたんだなーって、

エースはそんな大事なことを教えてくれたんだと、

失ったものより今あるもの、

失ったものよりこれから手に入れたいもの、

そんな大事さを突如読者に突きつけてくれた。

 

でもやっぱりすごいのは、

そこからちゃんと前に進み直せること。

 

ただ自分の認識を改めただけじゃなくて、

新しくちゃんと次を見つけに行く。

 

そんな時の仲間のサポートが

とっても具体的なのが、ほんとに、羨ましい。

 

「とにかく今はこれを頑張れば良いんだ」

っていうのに、没頭できる環境に身を置くこと、

そんなことができれば、私も海賊王になれるかな。

儚さとエロ

どうも、しがないニートです。

 

冷めたコーヒーを飲みながら

ピークを過ぎてしまったものの価値って

なんでこんなに尊いんだろうと、物思い。

 

「ああ、あの時はこんなによかったのに」

というノスタルジーに酔いしれているだけなのか、

ただの性癖なのか。

 

去年人生で初めて30代の人と体関係をもって、

20代ましてや10代とは全然ちがう、

体に刻まれた歴史なのか、年輪なのか、

あのどうしようもなくなってしまった肉付きに、

どうしてもエロを感じてしまう。

 

でも、決してその人の20代の頃を思い出してのことではないし、

その時私の目の前にいたあの人に、

間違いなく、エロを、感じていた。

 

冷めたコーヒーも同じ。

一気に飲み干せてしまうけど、

それには少しアクが強くて、

どうしても少しずつちびちびと味わう。

 

その一口一口に、確かな苦味を感じながら、

でも時間になったらゴクリと一口に。

 

青春時代の、終わりなき幸せなんかじゃなくて、

すこし将来に諦めてしまった

そんな姿に魅了されてしまう。

 

儚さに同情してるわけじゃなくて、

自分もそこに近づいてるんだと、

そんな自分のことも大事にしたいんだと、

新しいコーヒーを入れなおしてふと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

お酒じゃなくて、コーヒーだって飲むのよ。

フレディの胸毛

どうも、しがないニートです。

 

私、生きてる人間を感じました。

 

 

ボヘミアンラプソディーを観に行ったんですよ。

 

 

普段はね、

人気なものほど敬遠してしまうの。

 

でも、友だちが連れてってくれるっていうし、

タダなら観てみようかなーっていったら、

もう、もうもう、もう、

なに?なんで?こんなに鳥肌立つ?

 

 

ロック

って言葉の意味や真髄なんて、

私なんかには計り知れないけど、

人間って生きてるだけでロックなんだよ

って言いたくなる。

 

ロックが何かなんてなんだっていい。

 

生きてるってことが

人間であることが

悩んで苦しんで楽しんで喜んですることが

それがロックなんだよ。

 

なんだよ、ロックに生きようぜ、

ロックでいればこんなにも楽しいじゃねえか。

 

辛いことだってある。

なんだったら、生きてりゃ辛いことばっかり。

 

でも、でもね、

それでも泥臭く、がむしゃらに、

突き進んで見えるものがあれば、

それが人間だし、人生だし、

ロックな生き方してるってもんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

ミーハーだけど臆せず言葉にしました。

上を向いて歩こう

どうも、しがないニートです。

 

引きこもってると、

友達と遊んでこいなんてちっちゃい頃は

口酸っぱく親に言われてたけど、

気づいたら何も言われなくなってた。

 

いつからだろう。

中学生くらいの頃からかな。

 

小学生までは遊ぶことくらいしかやることはなくて、

宿題だって忘れることなく毎日ちゃんとやってたし、

夏休みの宿題は序盤で終わらせるタイプだったし、

親はもっと私に何かやっていてほしかったのだろう。

 

中学生になると、

勉強も部活も量が増えて、

暇な時間はどんどん減ってきて、

家でテレビを見てても何も言われなくなってた。

 

今は、親は私に何を期待してるんだろか。

 

元気になってほしい

っていうのが親に限らず周囲の回答だけど、

元気の定義なんて誰も持ってない。

 

小学生なら友達と遊ぶ

中高生なら勉強に部活

大学生ならサークルにバイト

社会人なら仕事仕事仕事

こいつらをこなしてたら「元気」なんだろう。

 

だから仕事をしてない25歳の私は

元気のない人間になるんだろうか。

 

元気かどうかなんて、

その人の行動からしか判断できなくて、

ほんとに元気かどうか本人もわからない。

 

じゃあ、元気になりたいというのなら、

自分なりに「これをやってれば元気」

っていうのを見つけてやればいいんだ。

 

周りの人に決められた答えに従うのは楽。

 

でも、従い続けて、正解を出し続けた私には、

これ以上答えに迎合するだけの気力がない。

 

人生の意味ばかりを求めてしまって、

そのせいで意味のない人生になってる気がする。

 

ここまで書いてきて、

人生に意味なんてねえ

と割り切ることができれば勝ちだなと

ふと思ったので、世の中の底辺を見下しながら

今日も生きていこう。

 

 

 

 

 

 

いや、世の中の底辺って私やないかい。

日本に生まれた私は幸せなのか

どうも、しがないニートです。

 

今日、4ヶ月ぶりにメンタルクリニックに行って、

「で、君はこれからどうしたい?」

って、初見の医者に言われたんだけど、

タバコ吸ってビール飲みたいしかでてこなかった。

 

いやー、予想はしてたけどね。

 

もし、将来への意志みたいなものを確認してきたら

全力でキレてやろうなんて思ってたけど、

「元気になりたいと思えるようになりたい」

とちゃんと正直に話してきた。

 

大人になったよ。お前は良くやった。

 

世の中の、人間に求めてるハードルが高いんだよ。

朝目を覚ます

トイレで尿を出す

歯を磨く

これだけでも立派に人間やってるじゃねえか。

 

頭使って考えれば、

「そりゃニートやめて元気になりたい」

って言葉以外出てこないっしょ。

 

ちがうんだよねー、なんか。

 

もっと人間としての欲求というか、

「ああ、私生きてるな」

って実感できる何かがほしいんだよ。

 

やる気を出すためのやる気が欲しいし、

そんなこと言ってたら一生何か求める乞食なのはわかってる。

 

でも、それでも、

生きてるってとにかく実感したいんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

これで、通り魔にあって、

「どう?生を実感できた?」

なんて言われながら殺されたらどうしよう。