どんな人がタイプ?なんて意味ねえ

どうも。しがないニートです。

 

先週、記事を書いてて思い出した、江國香織先生の

思いわずらうことなく、愉しく生きよ

をパラパラと読み直してて、

ハッとさせられることこの上なしで、

毎日情緒が不安定です。

 

shiganaineet.hatenablog.com

 

 

 

「私って何者なの?」

っていう疑問って、きっと一生晴れることなんてない。

 

肩書きだけなら私のことを簡単に決めれる。

 

でも、それって本当に私なのかな。

 

 

作品を読み直してて、三女の育子は、

 

「誰かのものになりたいの。」

 

って言う。それに、

 

次女 治子

「誰かのものなんてなれないのよ。」

 

長女 麻子

「そうなりたいなら、自分でなるほかないよ。」

 

って返すのね。

 

 

お姉さんたちは強い。

「私は何者?」は自分で決めるんだって。

 

でも、育子は誰かのものになることで私を決めたい。

 

それは育子が

好きな男の人に希望を持ってるから

だって。

 

でも、育子も誰かの所有物になりたいわけじゃなくて、

自分は自分として守りたい部分があるんだって。

 

 

誰かの隣にいると、自分の位置が確かめられる気がする。

 

相対的にってやつなのかな。

なんかちょっと違う。

◯◯の恋人っていう肩書きなのかな。

いやそれもなんか違う。

 

他人は自分を映す鏡

なんて心理学では言うけど、

ほんとに自分を見る鏡が必要なんだ。

 

じゃあ、自分にとってはどんな人が

私にぴったりな鏡なのかな。

 

どんな人がタイプ?

とかより、

ぴったりな鏡に相応しい人

の方が、生きていくには大事なんだね。

 

 

今日もありがとう、江國先生。